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幼稚園からのおしらせ

2012.01.23  クリスマスといのちの電話

クリスマスから正月にかけての年末になるといつもある場面が心に思い起こされます。他に人のいない薄暗い部屋でボックス状に仕切られた電話の置いてある机に向かい、夜通し受話器の向こうから聞こえてくる声に必死に耳を傾けているのです。やり場のない苦しさや寂しさをかかえ、打ち明けられる人もなく、多くの人が最後の望みをかけ、話を聞いてもらいたくてそこに電話をかけてきます。この時期、その中の多くの人が自殺をほのめかします。クリスマスから正月にかけて、世間が皆幸せそうにしている時だからこそ一層増し加わる孤独感。自分も彼らの仲間だ、という不思議な共感をもってその寂しさを共有しながら暗い部屋で一人受話器に向かっていました。

 神父になる勉強のため東京の神学校にいた頃、年末年始にほとんどの神学生が帰省するなか、短い冬休みに北海道まで帰省することを控え神学校で越冬することがよくありました。がらんとした広い神学校にぽつんと一人でいるのはやりきれなく、ならば(当時ボランティアをしていた)いのちの電話の担当を、ということだったのです。(特に年末の夜中の担当者は不足していました。)別段、友達や話し相手が当時いなかったわけではありません。しかし、楽しい時を共有できる仲間はたくさんいても、自分の心の奥深くにある寂しさや、悲しみを共有してくれる友はわずかです。そしていつもそばにいてくれるわけではありません。一見楽しそうに過ごしてはいるが、実は自分の中にある本質的な孤独をごまかしているだけだ。自分の孤独に直面しなければ…、という思いはいつも心から離れませんでした。そして、それを実感させられたのがこの時期であったわけです。

電話の向こうにいる人の重たい話に時間をかけじっと耳を傾けていると「あ、心が触れあった」と感じ、ふっと心が軽くなる不思議な瞬間があります。それは双方が同時に実感するもので、それまでの重苦しい雰囲気が突然明るくなるのです。相手に冗談を言うゆとりさえでてきます。問題は何も解決していません。相談者の多くにとって大切なことは問題解決の方法ではありません。心の絆の実感の欠如が彼らを苦しめているのです。問題を聞いてもらうことではなく、自分を聞いてもらうことを求めているのです。ただ、会話を通して「心が通じた」瞬間が互いの「救いの時」なのです。至福の瞬間とも言えるその関わりは電話のラインがつながっている間だけの片時のものにしか過ぎません。しかし、その時、世間の軽々しく、騒々しいだけの楽しげな光景よりはるかに確かな関わりだという実感を持つのです。そして、「この人はだいじょうぶだ、死なない」、という絶対的な確信を持って受話器を置くのです。